発行:霞が関通信社 著作・朗読:稲村宏史(国際記者、IOC7代目サマランチ会長個人秘書)
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琉球(沖縄)史 ①  
 
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1185(平安時代末期)壇ノ浦の戦い(山口県下関)で平家が破れ安徳天皇入水自殺し平家一族は全滅したと歴史ではなっているが、実は大半が四国や九州に逃れたいうのが真実。その中で遠く薩摩に逃れた平家の一族が、更に遠く奄美と琉球にまで落ちのび、徳川200数十年のあいだに一大勢力となって明治維新の旗手となって、薩摩を支え、薩摩を薩長土肥の盟主にした蔭の立役者は琉球だったのは隠れた真実。
 1600(安土桃山時代)秀吉の正室、北の政所と徳川家康が手を結び、石田光成と側室淀君とが争った
「天下分け目の戦い」といわれた第二回目の関ヶ原の戦いがあった。この
戦いでは薩摩藩は、当初石田光成側に布陣したが形勢不利とみるや家康の本陣めがけて駆け抜けけて薩摩に逃げ帰えり、そのまま家康に恭順の姿勢を示し、以後徳川270年間 藩主を江戸と薩摩の2か所に2人置いて、幕府から距離を置いた。徳川300年の間、薩摩は琉球の存在を幕府に隠し、琉球人に対する計画的絶滅策(ジェノサイド)をとり圧政で琉球王国を滅ぼした。そのため琉球王朝は奄美の徳之島に逃れて明治維新まで命脈を保った。


1853 


1603
1867
 
Mar26
1945


1945 
Aug 6,1945
July26-Aug2,1945
 



1972